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即身仏弘智法印宥貞の周辺情報

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弘智法印宥貞は、天正19(1591)年に出雲国(現在の島根県)で生まれました。23歳の時に讃岐国(現在の香川県)松尾寺の住職宥昌和尚のもとで出家し、27歳で宥昌和尚と死別したのちは諸国行脚を行い、高野山金剛三昧院にて真言密教を修学して小僧都となりました。最後の信仰の地となった浅川町で小貫東永山観音寺の住職となり、村人のために加持祈祷を行う日々を過ごしますが、この時期、悪病が流行して多くの村人が苦しんでおりました。そこで宥貞は、天和3(1683)年12月8日、弟子の宥林に寺を継がせ、村人を集めて薬師如来十二大願の説法を行った後、自らを悟り入定しました。人々の尊敬と信望を集めた宥貞は、即身仏としてこの貫秀寺薬師堂に現在鎮座しています。即身仏は全国に20数体ありますが、弘智法印宥貞のように疫病治癒祈願のため、薬師入定した例は国内では類がないと言われています。また、宥貞は福島県で唯一の即身仏となっております。

※地元の保存会の方々が管理されておりますので、拝観には事前の予約が必要となります。
福島県石川郡浅川町大字小貫字宿ノ内63 曹洞宗金久山貫秀寺薬師堂
最寄り駅:磐城浅川駅
(1)JR磐城浅川駅から10分











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