長崎城址の周辺情報
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因島の南部、伊予に属す生名島・弓削島を指呼の間にのぞむ位置にあり、かつては一小島で、本丸と思われる跡は、現在宿泊所ナティーク城山として利用され、旧状をとどめていない。
その本丸から南西に3段の郭が船隠しにつながっている。城の周囲は工場の拡張と街区の拡張で、関連の遺跡はほとんど失われ、城の南西に船隠しがあって船を繁留するための岩をうがった杭穴が数年前まであったが、今は造船所の拡張によってコンクリートで埋められ、2・3個しか確認できない。
今岡通任は小早川氏と対抗しながら北上し、因島を横領していたが、天授三年長慶天皇の命をうけた村上師清が信州更級郷から下向、今岡通任に服従を要請したが、通任は聞き入れず、鶴島箱崎浦の合戦となり師清は勝利をおさめ南朝方の勢力をとりもどした。師清は、又三郎吉豊を因島本主家を継承させ、土生の長崎山を居城とした。
以来百八十年間因島村上水軍の本城であった。
なお、城の東方の天狗山の尾根先端部にある荒神山城とは、100mをへだて相対しており、この城は長崎城の控えの城と言われている。
その本丸から南西に3段の郭が船隠しにつながっている。城の周囲は工場の拡張と街区の拡張で、関連の遺跡はほとんど失われ、城の南西に船隠しがあって船を繁留するための岩をうがった杭穴が数年前まであったが、今は造船所の拡張によってコンクリートで埋められ、2・3個しか確認できない。
今岡通任は小早川氏と対抗しながら北上し、因島を横領していたが、天授三年長慶天皇の命をうけた村上師清が信州更級郷から下向、今岡通任に服従を要請したが、通任は聞き入れず、鶴島箱崎浦の合戦となり師清は勝利をおさめ南朝方の勢力をとりもどした。師清は、又三郎吉豊を因島本主家を継承させ、土生の長崎山を居城とした。
以来百八十年間因島村上水軍の本城であった。
なお、城の東方の天狗山の尾根先端部にある荒神山城とは、100mをへだて相対しており、この城は長崎城の控えの城と言われている。
広島県尾道市因島土生町
最寄り駅:須波駅
(1)尾道駅からバスで45分 徒歩で10分
(1)尾道駅からバスで45分 徒歩で10分
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