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鹿児島城(鶴丸城)跡の周辺情報

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慶長7年(1602)に島津家久が鹿児島の西北にある城山の南麓に築いた城。城の地形が鶴の羽を広げた姿に似ていたので、鶴丸城の愛称がある。城自体は質素な屋形造りの居館であった。これは鹿児島藩独特の外城制度による。
元禄9年(1696)に大火に遭い、再建されたが、明治6年(1873)にも出火して全焼。焼け跡に征韓論に敗れて薩摩に帰った西郷隆盛が私学校をつくった。現在、鹿児島の歴史資料や美術工芸品を展示する鹿児島県歴史・美術センター黎明館が建っている。

◎島津家久(1576-1638)加久藤城生れ。薩摩初代藩主。外様大名。七二万石を領す。慶長7年鶴丸城を築き、外城制度、奄美・琉球領国化など藩体制の基礎を確立。
◎島津重豪(1745-1833)加治木生れ。薩摩8代藩主。造士館創設。開明策をとり豪奢な生活をし、樺山主税らの緊縮策を嫌い、近思録崩で処断。晩年調所に藩政改革を命じた。
◎島津斉彬(1809-58)江戸生れ。薩摩11代藩主。重豪の影響で洋学を学び、近代工業の創立に努め、集成館を作った。開国派で、慶喜を将軍に推した。西郷らを登用した。
鹿児島県鹿児島市城山町
最寄り駅:市役所前駅
(1)鹿児島駅からバスで5分















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