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中津隈宝満神社の周辺情報

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建立の歴史は北茂安校区内では千栗神社の次に古く、天平4年(732年)に筑前国竃門山宝満宮(現太宰府市)の神霊を勧請、松本に神社を建立しました。
弘仁4年(810年)に現在の地に社殿を移し、その後山王社・太宰府天満宮を勧請したと由緒年紀に記してあります。
戦国時代、この周辺は板部氏の所領でした。その後いったんは西島領主・横岳氏に移りましたが、元亀3年(1572)に龍造寺隆信が横岳氏を攻め、神埼の崎村城にいた犬塚家広(いんつかいえしげ)(※小弐家の家臣で東肥前19城将の一人)が「西尾城攻め」の守りとして崎村城を支城にし、ここを本城として築かれたと言われています。しかし、龍造寺氏が衰退し、鍋島氏が勢力を増すと犬塚氏も鍋島氏に仕え、この地から小城に去ってしまい、やがて城も廃れていきました。今でも中津隈西地区には「タチ」「タチボリ」「カマウチ」「クラヤシキ」等の城址を示す地名が残っています。

現在の社殿は中津隈城址に建てられています。
最寄り駅:中原駅















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