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八幡山城跡の周辺情報

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八幡山は「鶴翼山(かくよくざん)」とも呼ばれる。
安土城が落城してから3年後の1585(天正13年)年、豊臣秀次は近江四十三万石の居城をこの山に置き、安土城下の人々を移し住まわせた。
最頂部に本丸を設け、その南東に二の丸、西に西の丸、北に北の丸、南西の尾根上一段低く出丸を配置する構造で、山頂から八の字形に広がる尾根上の小曲輪と、尾根に挟まれた南斜面中腹に秀次館跡、家臣団館跡群と思われる曲輪群が階段状に残っている。
秀次の死後、京極高次が入封したが間もなく廃城となった。

現在は石垣を残すのみだが、本丸跡には秀次菩提寺の村雲御所瑞龍寺(むらくもごしょずいりゅうじ)が京都から移築されている。また、秀次館跡からは金箔瓦が多数出土し、特に秀次の馬印である沢瀉紋(おもだかもん)の飾り瓦が発見されるなど築城当時の豪華さが伺える。

豊臣秀次について
豊臣秀吉の姉・ともの子。秀吉の養子となり関白職を継いだが、後に秀頼が産まれ、後継者を巡る争いにより自害させられた。
八幡公園には開町の祖・秀次の銅像が建てられている。
滋賀県近江八幡市宮内町
最寄り駅:近江八幡駅
(1)近江八幡駅からバスで12分(大杉町)















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