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御鷹場の碑の周辺情報

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鷹をつかって野鳥や兎などの小動物を捕えるのが鷹狩であり、武将などが行ってきた狩猟である。徳川家康をはじめ代々の将軍は、江戸付近の各地で鷹狩をしており、井の頭周辺にもたびたび来ている。幕府は鷹場村々を定め、江戸城を中心に五里(20km)以内の村々を、すべて幕府の鷹場とし、外側の村々を尾張・紀伊・水戸の徳川家などの鷹場とした。三鷹の地はその境界であった。すなわち、上連雀・野崎・大沢から東は幕府の鷹場であり、そこより西の井口・野崎・深大寺・大沢の各新田及び多摩地区から埼玉県南部にまたがる広大な地域が尾張徳川家の鷹場であった。村々には境界を示す石碑が、明和7(1770)年ごろに建てられた。全83本のうち三鷹市内には、7本建てられたという記録がある。そのうち、5本が現存する。市役所庁舎裏の雑木林の中に1本、野崎地区の吉野泰順氏邸内に1本。長久寺境内に1本、そして井口の大鷲神社の祠に1本(2つの部分)である。いずれの石碑も高さ1mほどの角柱型で、方位等が記されているが、書体は異なる。このほか大沢二丁目の地内で発見された1本がある。上部が欠損し、領域を記した方位文字がなく、惜しまれる。
東京都三鷹市大沢2丁目2
最寄り駅:多磨駅
(1)JR三鷹駅からバスで12分(~21分 三鷹市役所前下車すぐ [みたかシティバス 三鷹台駅行き、鷹54 新川団地中央・晃華学園前・仙川・仙川(仙川折返場)行き、鷹59 三鷹駅前行き] ※これは三鷹市役所内の碑のアクセスです。)















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