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得生寺の周辺情報

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 得生寺は中将姫伝説の寺として知られています。奈良時代の天平宝字3(759)年に、時の右大臣藤原豊成卿の娘、中将姫が3年間隠れ住んだ所に、姫に仕えた伊藤春時が草庵を結び安養庵と称したのが最初といわれます。春時は西の真砂寺で剃髪して得生、妻は妙生と名乗りました。 平安時代の承平のころ(931~937年)空也上人がこの地に行脚し、庵の所に一寺を建てて春時の法名に因んで得生寺と名付けました。その後、室町時代の文明年間(1469~86)に梶取総持寺を創建した明秀光雲上人により、西山浄土宗に改宗され文亀年間(1501~1503)に別所の谷は山奥で不便だからと、西里高井の後の的場に移転しました。この高井の後の的場は水難の恐れがあるため、永禄10(1567)年に宮代に移転しましたが、江戸時代に入り寛永5(1633)年に新田の西蓮坪に移し現在に至っています。 本尊の阿弥陀如来立像や当麻寺の玉誉上人より贈られたといわれている中将姫座像と伊藤春時夫妻像、それに天平宝字7(763)年歳次癸卯季夏6月23日の銘がある浄土曼荼羅図(当麻曼荼羅図の転写本か)、室町時代作の連刺繍三尊像(刺繍阿弥陀三尊来迎図)が祀られています。 毎年5月14日の中将姫の命日に行われる来迎会式の二十五菩薩練り供養は、和歌山県の無形文化財に指定されています。
和歌山県有田市糸我町中番229
最寄り駅:紀伊宮原駅
(1)紀伊宮原駅から車で















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