山刀伐峠(山形県最上町)の周辺情報
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山刀伐峠は、最上町と尾花沢市を結ぶ峠のひとつ。
標高は470メートルにすぎないが、北の最上町側は急峻で、南の尾花沢市側は比較的なだらかな地形をしています。この形状が昔、山仕事あるいは狩の際にかぶった「ナタギリ」という冠物の形に似ていることから、峠名が発生したと言われています。
元禄2年(1689)5月17日、陽暦にすると7月3日。松尾芭蕉と河合曾良は最上町の封人の家に逗留した後、「おくのほそ道」でも“最大の難所”と言われている山刀伐峠を越えて、尾花沢市へ向かいました。芭蕉は、その時の印象を「高山森々として一鳥声きかず・・・」というくだりの見事な文章で表現しています。
現在、山刀伐峠の山頂へは舗装道路(旧道)が整備されています。ですが、その道とは別に芭蕉が辿った「歴史の道」(“二十七曲り”と言われるほどの曲がりくねった山道)は、散策道として整備されたブナの木が生い茂る手つかずの自然が残り、300年の時を越えても尚、松尾芭蕉の旅を偲ぶ貴重な史跡となっています。
標高は470メートルにすぎないが、北の最上町側は急峻で、南の尾花沢市側は比較的なだらかな地形をしています。この形状が昔、山仕事あるいは狩の際にかぶった「ナタギリ」という冠物の形に似ていることから、峠名が発生したと言われています。
元禄2年(1689)5月17日、陽暦にすると7月3日。松尾芭蕉と河合曾良は最上町の封人の家に逗留した後、「おくのほそ道」でも“最大の難所”と言われている山刀伐峠を越えて、尾花沢市へ向かいました。芭蕉は、その時の印象を「高山森々として一鳥声きかず・・・」というくだりの見事な文章で表現しています。
現在、山刀伐峠の山頂へは舗装道路(旧道)が整備されています。ですが、その道とは別に芭蕉が辿った「歴史の道」(“二十七曲り”と言われるほどの曲がりくねった山道)は、散策道として整備されたブナの木が生い茂る手つかずの自然が残り、300年の時を越えても尚、松尾芭蕉の旅を偲ぶ貴重な史跡となっています。
山形県最上郡最上町大字満沢
最寄り駅:赤倉温泉駅
(1)東北道古川ICから車で70分
(1)東北道古川ICから車で70分
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