姶良市西姶良 周辺の観光地
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PR 室町時代に瓜生野城として築城された城で戦国時代末期に大規模に拡張され、後に建昌城と呼ばれました。島津家久により鹿児島の本城候補に挙げられました。現在では、通称馬乗り馬場が残っている。享徳3年~文明18年,島津家の居城であった山城。
[住所]
鹿児島県姶良市西餅田[アクセス]
(1)帖佐駅から車で15分
最寄り駅:姶良駅 -
PR 島津家初代忠久の二男忠綱からはじまる、越前島津家。
天文年間に途絶えましたが、江戸時代になり島津継豊の弟・忠紀によって再興。
現在は島津忠紀以下の歴代当主とその家族が葬られています。[住所]
鹿児島県姶良市平松6196番地[アクセス]
最寄り駅:重富駅 -
PR 島津義弘公が慶長年間に居館とした平松城。元文2年(1737年)、再興された越前(重富)島津家の居館となり、周辺には麓集落が形成されました。
[住所]
鹿児島県姶良市平松 重富小学校[アクセス]
(1)重富駅から車で10分
最寄り駅:重富駅 -
PR この正門は、西南戦争後に建設された元鹿児島県庁(現在の鹿児島市中央公園)の正門を大正15年に移築したものです。当時の出納長が重富村出身で あったことから、重富小学校に払い下げられたと考えられます。
[住所]
鹿児島県姶良市平松5636[アクセス]
最寄り駅:重富駅 -
PR 島津義弘は文禄4年(1595)に栗野から帖佐へ移り住みます。家老の新納旅庵が工事の監督をし、館の石垣は加治木の湯湾岳から運んだといわれています。この時、館周辺の町割りも整備されました。文献によれば、「築地石垣九十九間」であったといわれます。
慶長...[住所]
鹿児島県姶良市鍋倉776・777[アクセス]
(1)姶良市役所から車で10分
最寄り駅:帖佐駅 -
PR 姶良の歴史や伝統文化にふれられる施設。浜下り・田の神講などの放映や萩原遺跡・宮田ヶ岡窯跡の遺跡の出土品、復元された民家、帖佐松原塩田模型などが展示されています。
[住所]
鹿児島県姶良市東餅田498[アクセス]
(1)帖佐駅から徒歩で5分
最寄り駅:帖佐駅 -
PR 豊州家島津氏の菩提寺であった総禅寺墓地に、島津季久・朝久・御屋地様の墓〔市指定史跡〕があります。
島津季久は豊州家島津氏初代で室町時代に国人領主として活躍し、瓜生野城(建昌城)を居城としました。文明9年(1477)に城中で死去しました。[住所]
鹿児島県姶良市鍋倉720-2[アクセス]
最寄り駅:帖佐駅 -
PR 島津季久の子、守興は薬師如来を信仰しており、越後国米山薬師を参詣して持ち帰った 薬師如来像をこの地に堂を建てて安置したものです。 古くから疱瘡除けに霊験ありとして信仰を集めている。姶良市南部の景色を一望することができる絶景スポットとしても知られています。
[住所]
鹿児島県姶良市鍋倉[アクセス]
(1)JR日豊本線 帖佐駅から車で20分
最寄り駅:帖佐駅 -
PR 永仁七年銘の五輪塔。凝灰岩製、総高154.5cm。火輪の軒の厚みや屋根の反り等、鎌倉期の特徴を示しており、存銘では県内で五指に入る古さを持つ。
[住所]
鹿児島県姶良市蒲生町漆110[アクセス]
(1)姶良市役所蒲生総合支所から車で15分
最寄り駅:帖佐駅 -
PR 新照寺は、煙草講(かくれ念仏の団体)の信徒たちの思いによって、石材による本堂建立が始まりました。明治26年(1893)に本堂、2年後に水流 金太郎氏の寄付により正門・石塀が完成しました。石材は寺師の黒葛野から切り出したといわれています
[住所]
鹿児島県姶良市住吉545[アクセス]
最寄り駅:帖佐駅
2024年6月16日 開会式/8:30~、合戦開始/9:30~(予定)
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