大村駅(長崎) 周辺の観光地
※本ページはプロモーションが含まれています
-
PR 観光施設・名所巡り,観光案内所
[住所]
長崎県大村市東本町1-1[アクセス]
最寄り駅:大村駅 -
PR 地名をとって、草場小路と名付けられました。草場小路には変わった色の石をちりばめた塀、『五色塀』(ごしきべい)を見ることができます。大村地方の特徴的な塀です。色とりどりの海石(いくり)の石積みを漆喰で塗り固めた塀ですが、他藩の人々の目には大変珍しく映ったと見...
[住所]
長崎県大村市玖島3丁目[アクセス]
(1)大村駅から徒歩で15分
裁判所前バス停から徒歩で10分
最寄り駅:大村駅 -
PR 神社・神宮・寺院,神社・神宮巡り
[住所]
長崎県大村市玖島2-505[アクセス]
最寄り駅:大村駅 -
PR 承応元年(1652年)に創建された円融寺の庭園。江戸時代初期様式の石組庭園は、東西50mに及ぶ斜面を利用して約400もの石を組み合わせて造られ、今も当時そのままの雄大な姿を残す名園です。また、白い玉石で水の流れを表現し、地形に合わせて作りだされた枯滝・枯流...
[住所]
長崎県大村市玖島2-505[アクセス]
(1)大村駅から徒歩で15分
(2)上小路バス停から徒歩で5分
最寄り駅:大村駅 -
PR 楠本正隆は、天保9年(1838年)城下の岩船に生まれ、藩主大村純熈(すみひろ)の側近として仕え、幕末の倒幕運動においても、大村藩三十七士の中心人物の一人として活躍しました。明治新政府では、行政官として長崎府判事、新潟県令、東京府知事などを歴任し、後に国会議...
[住所]
長崎県大村市玖島2‐291-4[アクセス]
(1)上小路バス停から徒歩で5分
最寄り駅:大村駅 -
PR 大村三十七士の一人として幕末の大村藩士として活躍、その後衆議院議長を歴任した楠本正隆。明治3年に建てられた寄棟造り、桟瓦葺き、平家建ての彼の屋敷は旧大村藩主内に残る武家屋敷としては最も整った形で残るものの一つである。建物や石垣、庭園、家財道具など屋敷全体が...
[住所]
長崎県大村市玖島2-291-4[アクセス]
(1)長崎道大村ICよりR444、R34経由、長崎方面へ10分
最寄り駅:大村駅 -
PR 大村藩歴代藩主の墓碑群で、初代藩主喜前(よしあき)から11代藩主純顕(すみあき)まで歴代藩主とその一族の墓があります。6mを超す巨大な墓が建ち並び、様々な様式の墓は見事な石造美術品です。キリシタン大名であった大村家が、禁教下で、キリスト教を棄て仏教信仰を幕...
[住所]
長崎県大村市古町1-64(本経寺内)[アクセス]
(1)大村駅前(北)からバスで5分
古町バス停から徒歩で6分
(2)大村駅から徒歩で20分
最寄り駅:諏訪駅 -
PR 本経寺は1608(慶長13)年頃大村藩初代藩主大村喜(よし)前(あき)によって創建された大村家の菩提寺で、日蓮宗の寺院です。キリシタン時代に失われていた寺院の復興第1号として建立され、大村藩の禁教と仏教復興の重要な施設でした。現在でも本堂をはじめ江戸後期の...
[住所]
長崎県大村市古町1丁目64[アクセス]
(1)大村駅から3分
(2)大村駅から20分
(3)大村ICから10分
(4)大村駅前(北)から5分(古町下車、徒歩6分)
最寄り駅:諏訪駅 -
PR 浅田氏は、大村家初代直澄に従い、大村に来た七士の中の筆頭といわれた朝長氏の子孫です。代々重臣を努め、中には三城七騎籠りで純忠を助けた大学純盛などもおり、純盛の子朝長久助は、文禄の役で武功抜群により、朝田と改名しました。後、浅田左門前安と名乗り、慶長4年(1...
[住所]
長崎県大村市片町[アクセス]
(1)大村ターミナルから10分
(2)市役所前バス停から10分
最寄り駅:大村駅 -
PR 明暦3年(1657年)潜伏キリシタンが発覚した大事件「郡崩れ」に関わる史跡です。翌年の万治元年(1658年)に、大村牢から200人の武士に厳しく警護されて、処刑のため131人が斬罪所に連れて行かれました。見送ってきた家族や親戚の人たちと、最後の別れを惜しみ...
[住所]
長崎県大村市杭出津3丁目[アクセス]
(1)大村ターミナルからバスで10分
協和町南バス停から徒歩で5分
最寄り駅:大村駅
2024年3月下旬~6月上旬 おおむら桜まつり/3月31日、裏見の滝自然花苑しゃくなげ祭り/3月23日~4月25日、おおむら花菖蒲まつり/6月1日
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|